うちの旦那はオネエ様

地方在住、ホモのひとりごと

怒ってるだけ、のLGBT

note.mu

自分らしさをさらけ出せる社会に向けて– 政治を志す増原裕子が描く未来

なる記事を読んだ

 

私は、これまでずっと、レズビアンの増原さんが国会議員を目指すというのは、

同性婚の実現を目指すとか、そういった明確なビジョンがあるのかと思っていた

ところがどうも違うようだ

 

この記事の中には以下のような一文がある

 

増原:「同性婚ができるようになったらしたいね」って話しています。パートナーシップ制度は法的拘束力がないじゃないですか。だから、国としての法的保障があったほうが安心だなと思います。あ、でも、結婚したとしても"勝間"裕子はいやだから、別姓がいいです(笑)。

 

レズビアンという立場で国会議員を目指すのであれば

与野党問わずひとりでも多くの議員に声をかけ、同性婚の実現を目指します」

という言葉が出てきても何らおかしくない

 

しかしながら彼女に関しては違う

“「同性婚ができるようになったらしたいね」って話しています。”

である

 

ついでに“ても"勝間"裕子はいやだから、別姓がいいです”だってさ(笑)

 

増原さん、あなたにとって結婚というのはいったい何なんですか?

 

 

 

 

で、同性婚の実現を目指している訳でもない

増原さんが政治に挑戦しようと思った理由として、

以下のように述べている

 

怒りと悲しみと悔しさで、いっぱいになったからです。

 

増原さんに限らずだけど、

どうしてLGBT云々に関わる人たちはいつも怒ったり、

悲しんだり、悔しく感じてたりするのだろうか、なんてことを思う

 

だいたい増原さんなんて、

レズビアンであることをフル活用して世間の注目を集め、

お金を稼いでこられた方だ

 

長年連れ添った東小雪さんと別れるなり、

勝間和代さんという新たなパートナーを得ている

にもかかわらず、怒ってばかりいる

意味不明、としか言いようがない

 

 

 

最後まで読んでみて、

もう一度読み直してみて、

つくづく思ったのは

やはり増原さんって単なる活動家であり

政治家には向いていないってことよな

 

活動家なら、自分の主張だけしてればいいけれど、

政治家になるなら、自分の主張に納得してもらった上で、

1人でも多くの有権者に選挙で自分の名前を書いてもらうことが必要だと思われる

 

しかしながらこの記事を読む限り、増原さんの主張って

「あなた方は私を差別している!」

っていうものなのよな(笑)

要するに有権者を敵対視していると言っても過言ではない

 

「あなた方は私を差別しています!」

なんていう候補者に、有権者は一票を投じることができるものなんだろうか?

 

彼女が日ごろから、

京都の地で性的少数者の生きづらさの解消のために尽力してきた、というなら

京都で暮らす当事者の支持を得ることもできるだろうけど、

彼女に関しては縁もゆかりもあるわけではない

 

増原さん、本気で国会議員になろうとしているのだろうか、

というのがこの記事を読んだ何よりの違和感だった

 

 

 

増原さんは「差別」という言葉が相変わらずお気に入りのようで、

この短い記事の中に、インタビューをされている方、も含め

「差別」なる言葉が(差別禁止法、云々も含め)20カ所も出てくる

もはや「差別」のオンパレードである

 

にもかかわらず、なにひとつ差別とやらの実例を挙げていないのも

ある意味増原さんらしい、と思う

 

私は、多くの日本人は何だかんだ言っても「まとも」だと思っている

 

差別を受けているという主張をするのであれば、

きちんと実例を挙げればいいのだ

そこで周囲が「ああ、これは差別だな」と納得すれば、

自然と差別的言動もなくなっていく、ってもんだと思われる

 

しかしながら周囲が「これは差別だよなあ、気をつけよう」と思える実例を

増原さんも活動家さんたちも一切挙げることができないというのが現状である

 

単に自分たちと違った意見を「差別である!」と決めつけちゃっている

活動家のいう差別の実例の大半はトランスジェンダーの方に対するものが大半だし、

同性愛者に対する差別の実例なんて恐ろしく説得力に欠ける

 

同性婚ができないのはそもそも憲法で想定していなかっただけの話だし、

男2人で部屋を借りれないっていうのは、

あくまで男2人で借りることができないだけの話で、

イカップルに対する差別でも何でもない

仮にゲイであることがバレて会社をクビになったとしたら、

その方は単に職場の男に手を出したなんてことが十分に考えられる

ホモが気持ち悪い云々は差別でも何でもないし、

あくまで感覚的なものにすぎないだろう

 

ちなみに

私は立憲民主党の支持者なんて生理的に受け付けないけれど

これもやはり差別というのかな?

 

自分たちの主張を周囲に納得してもらおうっていう努力を、

増原さんたちは何ひとつやろうとしていない

何かを成し遂げるには賛同者を増やすことが唯一の道なのに、

やってることは敵ばかりつくること

 

「そんなの差別でも何でもねーじゃん」なんて思われるうちは、

単なる「わがまま」でしかないのよな

わがままな子供はまだ可愛げがあるけれど、

わがままな大人なんて迷惑な存在でしかない

 

ま、増原さんは本気で国会議員になんかなろうとしていないのかな、

ってことが、この記事を読んでいて思ったこと

 

だいたい国会議員なんかなっちゃったら、

今後弱者ビジネスがなりたたなくなっちゃいますもんね

 

増原さんにとっては落選した方が

LGBTに対する理解がない!」ってことで

いろいろ都合がいいのかもしれません

 

そんなもので京都のみなさま、

増原さんにどうぞ一票を、、、、(笑)

 

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今日、旦那と一緒にいった温泉に張ってあった一文がなかなか秀逸だった

 

“18才と81才に違い!!”

 

1・道路を暴走するのが18才、道路を逆走するのは81才

2・偏差値を気にするのが18才、血糖値を気にするのが81才

3・受験戦争と戦っているのが18才、病気と戦っているのが81才

4・恋におぼれているのが18才、お風呂におぼれているのが81才

5・まだ何も知らないのが18才、もう何も覚えていないのが81才

6・東京オリンピックに出たいのが18才、東京オリンピックまで生きたいと思うのが81才

7・自分探しの旅をしているのが18才、出かけたまま家に帰れずみんなが探しているのが81才

 

とらえ方は人それぞれ、であろう

 

こういったものを80代の方が見て

「けしからん」と怒る方もいれば、

「がはは、ほんまや」と笑う方もいると思うのです

 

で、自分なら、どっちの人についていきたいと思うだろうか?

この文章を見て、怒り出す人と一緒にいたいですか?

笑ってる人と一緒にいたいですか?

 

LGBT云々とおっしゃってる方々、今一度考えてみませんか???