うちの旦那はオネエ様

地方在住、ホモのひとりごと

ホモにとっての生き辛さ

「ホモにとっての生き辛さとは何なのか」

それを自問自答する日々が続いている

 

この日本という国においては

多くの国民が「同性愛者がいる」ことを知っていると思われる

 

私自身、小学生の頃には「ホモ」や「オカマ」って言葉は知っていたし、

オネエキャラの人が日常的にテレビに出ているし、

意味は多少違えど昔から「男色」なんて言葉もある

映画やドラマ、文学の世界でも取り上げられているし、

最近は少なくなったとはいえ、書店にゲイ雑誌が売っていて、

新宿2丁目がゲイタウンであることもわりと知られている

さらに女性には「ボーイズ・ラブ」の世界なんていうのは人気があるそうだ

 

やはり、多くの方が日本に同性愛者が「いる」ことは知っていると思われる

にもかかわらず、

何で活動家さんたちは「生き辛い」などと主張するのだろうか

というのが今回のひとりごと

 

 

 

昨今のLGBTにまつわる報道なんかを見ていると、

基本的に「LGBTの問題」というのが

「社会の中におけるLGBTの存在」といった話ばかりになっている、

そんな気がしなくもない

 

活動家のみなさんも社会に対して「理解しろ」「差別するな」と言っている

それについて、様々な論争が起きている、っていうのが現在の状況

しかしながら、私は根本的なところでずれていると思う

 

あくまで私はゲイであるから、ゲイに限定して話を進める

 

ゲイに関する問題っていうのが存在するのなら

「社会の問題」ではなく「家族の問題」ではなかろうか

 

日本においては多くの国民が「同性愛者がいる」ことは知っている

最近だと勝間和代さんやロバート・キャンベルさんも

「カミングアウトしたからといって、特に変化はなかった」

と言ってはいなかっただろうか

 

そう、職場や学校でカミングアウトした経験がある方なら分かると思うけど、

「私はゲイで、あなたが好きです」は駄目だけど

「私はゲイで、好きな男がいる」って話は

「あ、そうなんだ」で終わる話なのだ

 

周囲の人にしてみれば、

同性愛者云々はテレビの世界だと思っていたけど、

隣にいるんだと知る「だけ」だ

びっくりするくらい何も変わらない

そんなもので社会的な問題が存在するとは思えない、というのが私の実感

 

しかし、カミングアウトして

「あ、そうなんだ」ですまない人がいる

 

「親」

 

昨今の騒動以降、さまざまな方がLGBTに関する意見を述べている

しかしながら面白いなと思うのは、

当事者以外の方がLGBTに関して述べる意見というのは、

完全に「他人事」であるということか

 

LGBTは何%いる」だとか「差別を受けている」だとか

そんな話を聞いても、

みんな「他人事」だと思っていませんか?

 

LGBTについての意見を発する前に、

寄稿する前に、

ツイートを投稿する前に、

ほんの少しでいいから考えてほしいのです

 

あなたは息子なり娘から同性愛者であると告げられたら、

どんな対応をとりますか?

どんな一言を告げますか?

 

そもそもあなたは息子なり娘の「性」について何か知ってますか?

息子がいつ精通をしたかとか、

初体験はいつだったかとか、

恋人とどれほどの頻度で会っているかなんて何も知らないでしょう

息子さんは恋人とのセックスで何か悩んでいるかもしれません

 

「性」に関してあけっぴろげな親子もいるかもしれませんが、

大半は親子と言えどしませんよね?

 

この点を意識してもらうと、

LGBTの問題とはそもそも何だろうか、

という根本的な疑問にたどり着けると思う

 

何度も書いてますが、

ゲイなんて男が好きな男という「だけ」の話です

問題と捉えることが何よりの問題なんです

 

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私は活動家と一般当事者の最大の違いは

「親にカミングアウトしているか、していないか」

だと考えている

 

多くのゲイが「親にカミングアウトするかしないか」で悩んだ経験があるものだろう

その結果「しない」という選択をされている方が大半でなかろうか

 

一般当事者で親にカミングアウトしている方というのは、

「パートナーと暮らしている」方とか「養子縁組をされている」方など、

かなり少数派であると感じる

 

一方で活動家の方々というのは、

顔を出してテレビに出演したり執筆活動をされているので

当然のように「親にカミングアウトしている」方々と言える

デモに参加された方も地上波のニュースで顔が出ているくらいですから、

カミングアウトしている方が多いと察する

 

活動家さんは昔も今も何かとカミングアウトを推奨する

「自分はできた、あなたもできる!」そんな感じ

それが「ありのままの生き方に通じる」、、、、みたいです(笑)

 

しかし私は、将来を約束したパートナーもいないような段階で

「親へのカミングアウト」するっていうのは

まったく利点を感じません

 

「僕は同性愛者なんだ、ごめんね」

なんて言っちゃうと親は不安しか感じないでしょう

 

でも、

「僕は同性愛者だけど恋人もいて楽しくやっている」

だと親としても救いがあると思うのです

 

親の立場の方ならどう捉えますか?

 

私自身は親にカミングアウトした際、

このあたりのことを全く考えてなかった

 

自分は親に言って楽になったつもりでいたが、

親は不安しか感じなかった

自分はゲイであることを悩んでいないからこそカミングアウトしたのに、

親は息子がゲイであることを悩んでしまった

 

 

 

IMG_2781.jpg
http://lgbt-family.or.jp/

 

以前にも書いた内容ですが再度触れます

LGBTの家族と友人をつなぐ会」っていう団体があります

尾辻かな子さんの母上が代表を務めており、

サイトのトップにはこうあります

 

NPO法人LGBTの家族と友人をつなぐ会は、LGBTレズビアン、ゲイ、バイセクシャルトランスジェンダーなど、性的マイノリティの人々)の家族や友人などのによる会です」

当事者の親の会といっていいでしょう

 

この会は2006年の設立当初からブログを書いているのですが、

2006年5月30日の記事にこんな記述があるのです

 

なぜ当事者が、そして次にカミングアウトされた親や家族が、これほどまでに辛い思いをしなければならないのか。誰が悪いわけでもないのに。そう考えてみると、ただひとえに、私たち自身、当事者や親自身が社会の間違った認識の中で暮らしてきて、染まりきっているからなのだと思えます。人間というものがわかれば、なんら恥ずべきことでもなければ、心配することでもないのですから。ホモフォビアを乗り越えた親のポジティブな姿に接することで、まだ葛藤中の親が励まされる。そして堂々と胸を張って子どもを誇りに思えるようになっていく。その連鎖が必ず社会を変えると思います。

https://blog.goo.ne.jp/family2006/m/200605

 

子どもが親にカミングアウトするなんて「いい親子関係」を築けている何よりの証だと私は思うのですが、どうやら違うのです

親にしてみれば「辛い」ことだそうです

 

さらに他の日の記事ではこんな記述も見られます

でもその中の多くの人が、カミングアウトしていない様子・・・。カミングアウトできない人が悪いのではありません。そんなことができないほど偏見に満ちているこの社会が圧倒的に悪いのですから。

 

カミングアウトできないのは社会が悪いと断定している

 

この団体の主張は主張で構わないのです

しかし問題は、実際に息子にカミングアウトされた親が、

ネットに救いを求めると、最初に目につくのがこういった団体のサイトだということです

 

当事者の親が延々と悩み続けるような仕組みができちゃっているのです

こうなると親が息子の将来を悲観してしまうのは当然のことです

 

そこで親に自分を否定されでもすれば、

今度は前向きに生きようとしていた息子の側も悩んでしまう

こうなると「負の連鎖」になるといえないでしょうか

結論から言えばカミングアウトによる弊害です

 

私は、こういった流れが

「生き辛い」と感じる要因と化しているような気がします

 

   ◇

 

あえて「性癖」と書きますが、

親っていうのは自分がどんな特殊な性癖を持っていても、

子どもにはノーマルであってほしいと思うものではないでしょうか?

 

息子が同性愛者であるとしればショックを受けて当然です

でも、息子がロリコンであっても、熟女しか興味がなくても、

やはりショックを受けるものだと思います

 

トランスジェンダーの方なら親の理解、協力は必須でしょうが、

同性愛者に対して親ができることなんて「見守る」くらいしかありません

 

となれば、同性愛者が親にカミングアウトする必要などないと思いませんか?

「親にカミングアウトをしない」という選択はごくごく自然なものです

 

職場ではゲイなんて単なる男にすぎません

男性用トイレを使用し、男性用更衣室を使用し、男性用の制服なり作業着なりスーツを着用し、

男女を記す書類には男と記すでしょう

30歳男性の半数が未婚であるこの昨今、

独身であることは珍しいことでも何でもありません

やはりカミングアウトをする必要なんてありません

 

かつてなら「誰にも言えず」ひとりで抱え込んでいた方もいるでしょう

だからこそ「親には知ってほしい」「親友には知ってほしい」そんな意味で

「私はゲイなんだ」と

「カミングアウト」を真剣に考えていた方もいたと思います

 

しかし今は時代が違います

地方においても当事者は別にコソコソ生きている訳ではありません

ゲイの友人同士の付き合いも多々あります

 

何より当たり前のことを言いますと、

ゲイバーなり、アプリなりで知り合った方に

「私はゲイです」なんてことは言いません

ゲイであることが前提で会っている訳ですからね

 

「俺は実はノンケだったんだ」というのが

ゲイの世界におけるカミングアウトになるかと思われます(笑)

 

当事者は周囲へのカミングアウトの必要性を考えていない、

カミングアウトを推奨する活動家との意見が根本的に違うのは当然のことです

 

そもそも当事者の側から何ら意見がでないのは、

彼らが特に不満なく生きている何よりの証でしょう

また、若い当事者は活動家の存在すら知らないのではないでしょうか

 

実際にうちの旦那なんて「LGBT」という言葉くらいは知っていましたが

活動家のやってることなんて何も知りませんでしたよ(笑)

 

活動家の意見を鵜呑みにして「カミングアウト」を考えた方、した方「だけ」が

生き辛く感じている、そんな感じがします

 

誰の話でもなく私の話ですww

 

 

 

先日、英司さんというゲイの方が書かれた

「虹色のディストピア」という小説を読んだ

 

 

 

私はこれまでも「LGBTに関する法案」が施行されれば、

会社の面接に「俺はゲイだ!採用しないのは差別だ!」

といった人間が現れるだろう、

くらいのことまでは考えていたのだけど、

この小説はさらに先の世界を描いていた(笑)

 

LGBTに関する法案」が施行されれば、

ということについて、具体的に考えている当事者って皆無だと思う

 

法律というのは、自分が悪いことをしない限り、基本的には影響がないものだ

しかしながら、この小説の主人公(ゲイ)は、

思いもよらない形でこの「LGBTに関する法案」に振り回されることになる

 

この小説が秀逸な点は悪人が登場しないことだ

同僚も上司も基本的に「いい人」ばかりな故に

「正しい」と信じ込んでいることが主人公を追い詰めていく

 

当事者の視点でこの小説を読むと、背筋が寒くなる一方で、頷ける点しかない

奥田英朗さんの短編集が好きな方なら絶対にハマると思われる

 

当事者不在で法律だけが施行される恐怖、

一方的に弱者認定される恐怖、

このことを感じていたのは自分だけではなかったのだな、

ということが、分かった点も何よりの収穫

 

↓こちらで冒頭部分を読めます

https://note.mu/eiji_library/n/n4c2ead031bd8

 

そういった意味で、この小説を

LGBT」に関する政策を進めようとしている政治家の方に、

ぜひ読んでほしいなあ、、、

 

印刷して稲田朋美先生の事務所にでも持参しようかな(笑)