うちの旦那はオネエ様

地方在住、ホモのひとりごと

大学の教授も国会議員もよく分からん

LGBT法連合会のサイトを開くと、

トップページにはこの以下のように記載されている

lgbt1010.jpg

 

日本でも先進国と同等の

LGBT差別禁止法を。

 

今、日本では、LGBTというだけで

いじめられ、追い詰められます。

性的指向性自認は自分で選ぶことはできません。

 

まわりの理解がなく、悩みあぐね、

自殺に追い込まれてしまう子どもたちも多くいます。

 

富山大学の林夏生准教授は朝日新聞の記事内で以下のように述べている

LGBTの当事者は、直接、差別の標的にならなくても、周りの誰かがいじめを受けたり、テレビでネタにされる様子を見たりすると、「自分に矛先が向いたらどうしよう」と不安に襲われるという。周囲に相談もできず、「自分がだめなんだ」「いない方がよかった」と自らを責めて心身の健康を損ない、自ら命を絶った人もいた。林さんはそれがつらかった。

 

明治大学鈴木賢教授は先日のアベマTV内で以下のように述べている

そして今ですね、同性愛の子供やトランスジェンダーの子供がいじめられたり色んな辛い思いをして自死をはかっていく、どんどん人が死んでいってるんです。何で死ななきゃいけないのか、それは小川さんのようにLGBTを攻撃したりフレンドリーじゃない言論にあふれているからです。そういう環境の中で自分をどんどん追い詰めていっているんです。だから同性婚を作らない社会をこのまま放置したらどんどん人が亡くなっていくってことになります。

 

 

今日もホモのひとりごと

 

私は自称にすぎないが「平成史探究家」を名乗っている(笑)

何をやっているかといえば、

平成の一日一日に何があったかということを、

新聞の縮刷版を見ながら記事の冒頭部分を書き出す、

そんな作業を続けている

 

平成23年3月11日に何があったかは多くの方が知っているだろうが、

平成23年3月10日には何があったのだろう、

平成22年3月11日には何があったのだろう、

そんな些細な好奇心から縮刷版をめくり続ける

 

記事や写真を眺め

「わー、みんな若いなあ」とか、

「昔は○○さんイケメンやったんやなあ」とか、

「○○元首相、この頃からクセがあったんやなあ」とか、

あれこれ考えるのもまた楽しい

 

そんなもので、一般人の中では、

かなり「縮刷版」を読み込んでいるのではなかろうか、

と勝手に思っている

 

また、この頃はこんな事件があったな、と思えば、

意識して前兆となるような出来事を探していたりするし、

後から大騒動になったけど、

最初の扱いはこんな小さな記事だったのか、

といった発見もある

(例えば和歌山毒物カレー事件など)

 

そんな中、日頃からつい意識して記事を探していることもある

 

それは冒頭で触れた

性的少数者が自殺」といった記事である

 

私はかれこれ5年近く、平成の縮刷版をめくってきているが、

未だにこんな記事を読んだことがなかった

 

そんな矢先、記事検索に便利なものが図書館にあることを知った

「聞蔵」という、朝日新聞のデータベースである

1985年から現在までの朝日新聞週刊朝日の記事を検索できるらしい

 

私は「聞蔵」の検索窓に

「同性愛」と入力してみた

検索結果は3282件と出た

続いて「性的少数者」は1478件、「LGBT」は1155件である

(平成30年10月10日現在)

 

続けて「自殺」というキーワードを追加した

「同性愛&自殺」が162件、

性的少数者&自殺」が96件、

LGBT&自殺」が75件

 

当然、ひとつの記事の中に「同性愛者」「LGBT」「性的少数者」などが出てくると、

それぞれがカウントされてしまうので、

多くの記事が「だぶっている」と考えていいかと思われる

 

そして、私はこの「自殺」を追加した記事を丹念に開いてみた

 

先に結論を書くと、

LGBTを多く取り上げている朝日新聞ですら、

「同性愛者(or LGBT、or 性的少数者)であることを苦にしての自殺」という具体的な記事は1件もない

(一橋大の件は記事上では転落死)

(無論、見落としもあるかもしれないので、ぜひ図書館で検索してみてほしい)

 

2007年の週刊朝日の記事に薔薇族の編集長であった伊藤文學さんが、

“80年台半ばに九州で「薔薇族を万引きした高校生が親を呼ばれて自殺した」”

という話をされており、これが唯一リアルな具体例といえる内容であったりしたが、

他には具体的な事例が一切見当たらない

 

このキーワードが含まれる記事というのは、

基本的に「調査の結果」ならびに「活動家の話」だけ、なのだ

「○○教授の調査によると、性的少数者の○%が自殺を考えた」

LGBTに関する活動を行っている○○さんによると〜」

みたいな感じ

 

ちなみに「いじめ&自殺」というキーワードだと9518件表示されるのだが、

こちらには事件そのものの記事、

遺族の葛藤、裁判の過程など、かなり具体的な記事が並ぶ

 

これはかなり不自然といえないか

 

富山大学の林准教授は

「周囲に相談もできず、「自分がだめなんだ」「いない方がよかった」と自らを責めて心身の健康を損ない、自ら命を絶った人もいた」と朝日新聞で述べ、

明治大学鈴木賢教授は朝日系列のアベマTVで

「同性愛の子供やトランスジェンダーの子供がいじめられたり色んな辛い思いをして自死をはかっていく、どんどん人が死んでいってるんです」と述べている

 

にもかかわらず、具体的な事例が朝日新聞にすら1件も掲載されていない

 

新聞記事にも取り上げられないような自殺を

なぜ林准教授や鈴木教授は実例として挙げることができるのだろうか

 

遺族の方は林准教授や鈴木教授に相談でもしたのだろうか

周囲に相談もできず、自ら命をたった方の遺書を、

林准教授や、鈴木教授は読む機会があったのだろうか

果たして子どもたちは遺書を残していたのだろうか

 

私自身、自分が同性愛者であったことを苦しいと思っていた時期があっただけに、

「同性愛者であることを苦にしての自殺」という事例がない、

ということを述べるつもりは毛頭ない

 

ただ、自殺をされた方の遺族なり、代理人が問題提起として、

話をする、というのならまだ分かるのだ

 

しかしながら新聞にも載っていないような事例を、

三者であるLGBT法連合会なり、

林准教授なり、鈴木教授なり、LGBTの活動家なりが

安易に口にしてしまうのはあまりにも問題が多いと考えるがいかがなものか

 

仮に遺族から相談を受けたのなら、

もう少し具体的な例を挙げてもいいと思われる

しかしながら彼らの口から「具体的」な話が語られたことは一度もない

彼らの言う「実例」はいつも抽象的なのだ

 

大学の教授ともあろう方が

何のソースも提示せず、

自らの主張のために安易に「自殺している」などという事例を用いるのは

あまりにも卑怯ではなかろうか

 

尾辻かな子先生の出身地が話題になっている

 

一応、尾辻かな子先生の長年のファンとして(笑)

「カミングアウト」に記載されたプロフィールを転載しておく

 

1974年、奈良県に生まれる。大阪府議会議員。兵庫県立夢野台高等学校で空手道全国大会優勝、アジアJrチャンピオン。高知大学農学部森林学科に入学するも休学。フリーターを経て、韓国ソウル大学校に留学。テコンドーのシドニー・オリンピック予選に挑戦し国内予選で敗れる。帰国後、同志社大学商学部に入学。2003年4月13日、大阪府議会議員選挙で当選。大阪府議会で女性の最年少議員となる。

 

文中で自分の出自について述べているのは

P40に“私は、大阪府の南部で、二人兄妹の妹として育った。”

P43に“私の家族は、私が小学校六年生のときに、六甲山の向こう、神戸市北区に引っ越しをした。”

とある

 

「出生地」=まさに生まれた場所

「出身地」に関しては明確な定義ないそうだが

15歳までに最も長く過ごした場所、というのが一般的であるらしい

 

となれば

小学生までが大阪、

中学、高校が兵庫県となるから

「出生地」「出身地」「出身校」が混同しちゃってる、そんな印象

 

真面目に議員活動やっていれば、

ここまで追求されることはなかったんだろうけど、

おかしなことばかりやってるから、

追求を受けることになる

 

さらにネットで指摘されているんだから、

普通に「奈良県で生まれ、大阪府阪南市で育ち、中学、高校は神戸です」と

説明すれば「あー、そういうことだったか」と分かってもらえるだろうに、

きちんと説明しないから余計なことまで詮索されることになっている

 

尾辻かな子先生、

ぜんぜん有権者のことを見ていない証拠ですよ、

なんでそんな簡単な説明もしないんですか?

 

尾辻先生はツイッターでこんな投稿をしている

“痛みや怒りを共有するひとたちがいること、わたしにとってはそれが希望です”

 

有権者の意見はことごとく無視、

ろくな政策も持たずに政権批判を繰り返し

詐欺集団、立憲民主党の一員として国会審議の邪魔ばかり、

挙げ句の果てに同じ国会議員の意見を曲解し貶めた、

そんな方がLGBTの代表面して国会議員をやっていること

私にとっては絶望でしかありません

 

尾辻かな子先生、一度原点に立ち返り、

まじめに国会議員の仕事に取り組まれてはいかがですか?

 

私には大学のお偉い先生が考えていることも、

国会議員の方が考えているも

何をやろうとしているのかも

さっぱり理解できない

 

鈴木先生も林先生も尾辻先生も

社会に対し「理解を」云々と叫ぶ前に

私のような学のない当事者も「理解」できる言葉で

何をやりたいのか、何を訴えたいのか説明してみてはいかがでしょうか

 

それをやらないのなら

「私たち」といった二人称ではなく

「私は」といった一人称で活動されてはいかがですか?

 

当事者をみないあなた方はLGBTの代表でも何でもなく

いい年して世間知らずな痛いおじさん、おばさんに過ぎません

このままでは寂しい老後を送ることになりますよ

 

 

 

そうそう、先生方が直接関係しているのか存じませんが

先日の新宿でのパレード(?)も、

ずいぶん寂しい参加者だったようですね

 

いかに当事者に見放されているか、

よく分かったのではないでしょうか

 

あなた方は誰の代表なんですか?

だれのために活動をされているのですか?

今一度考えてみたらいかがですか?

 

今回もまた学のないホモが失礼いたしました

 

みなさまのご活躍を心よりお祈り申し上げます