うちの旦那はオネエ様

地方在住、ホモのひとりごと

増原裕子さん、言葉のナイフを振りかざしているのは誰でしょうか?

 

増原裕子さんといういわゆるLGBTの活動家さんのブログを拝見した後、

その数日前に書かれた英司さんというゲイの男性が書かれたブログを再読してみた

 

書かれている内容はかなり両極端だ

 

増原さんの記事のタイトルは

“まずは言葉のナイフを鞘におさめてほしい。対話はそれからだ。”

 

一方で英司さんが書かれた記事のタイトルは

“「差別」という言葉が招くもの-自身の体験から考える”

 

とあり、

共に「差別」という言葉について語られている

 

ぜひLGBTなんていうものへの先入観はさておき、

この2本の記事を続けて読んでみてほしい

 

 

 

今日もホモのひとりごと

 

新潮45」の騒動勃発から約2ヶ月

 

結果として私自身も騒動の一端を担う形になってしまったが

私自身は社会を変えようだの、

同性愛者として云々などという主張をするつもりは一切ない

 

ひとりのホモとして、

オネエの旦那と毎日アホなことをいいながら、

笑って生きていたい、基本的にはそう願っている

 

ただ、活動家のおかしな言動によって

世間から誤解を受けることだけは避けたい

 

政治家やマスコミとのつながりを持つ、

彼らの発言力は意外と社会的影響が大きい

 

気付けば当事者とは無関係のところに「LGBT」なんていう世界が完成していた

当事者は自分のことを「LGBT」だなんて考えていないのに

社会は何故か「LGBT」とみなすようになっていた

 

昨今の騒動で社会からみれば

LGBTなんて単なる危険分子と化してしまっている

 

無論、ただ活動家の動きを無視していればいいという手段もある

しかしながら、私は多くの友人、知人にカミングアウトをしている

 

カミングアウトの際、私は「LGBT」であるとも「ゲイ」であるとも言わず

「ホモである」と言っているにも関わらず、

何故か周囲は私のことをLGBTであるとみなしている

 

実際に7月末に騒動が勃発してから、

長らく連絡もなかった友人から「えらいことになっとるなあ」なんていうメールが

何通も舞い込んできた

「俺はLGBTなんかじゃない!ホモだ!」と言っても分かってもらえない(涙)

 

   ◇

 

新潮45にも書いたことだが

私は長らく「隠れホモ」だった

自分が同性愛者であることは分かっていたけれど

それを偽ってでも女性と結婚しようと考えていた

 

ゲイのコミュニティがあるのは分かってたけれど

どうしても足を踏み入れることができなかった

 

そんな矢先に尾辻かな子さんの「カミングアウト」って本を読んで、

その夜だったか週末だったかに、

当時街に一軒だけあったゲイバーに足を運んだ、

 

一歩踏み出すきっかけを与えてくれた尾辻さんには感謝している、

にもかかわらず、、、、っていうのが新潮45に寄稿した内容

 

ただ、寄稿では触れなかったけど、

私はゲイのコミュニティに足を踏み入れるまで、

同性愛に関する情報はネットなり書籍に頼っていたもので、

活動家さんたちの考え方に完全に染まっていた

 

「同性愛者は生きづらい、徹底的に殻を被って生きている」ってものだ

 

私はゲイのコミュニティに足を踏み入れて、

それなりに多くの方と知り合ってきたにも関わらず、

この先入観からまったく抜け出すことができなかった

 

みんなこの場では明るく楽しくやっているけど、

職場では徹底的に殻を被って生きていると信じていた

みんなカミングアウトできずに苦しんでいると信じていた

 

ようやくこの考え方から抜け出すことができたのは、

今の旦那と暮らし初めてしばらくしてから、

つい数年前、2015年のこと

私がこのブログを書き出した頃である

 

活動家のみなさんはそれまで「同性婚の実現」を目指していたはずだった

しかしながら何故か「同性パートナー制度」なんていう中途半端なものを目指しだした

そしてこの頃からやたらと多様するようになった言葉が「差別」だった

 

それまでは今ほど「差別」という言葉を乱用していなかったように思うが

残念ながら確認のしようがない

 

ただ、活動家の方が「差別」という言葉のナイフを世間に向けるようになった結果、

私自身は活動家と距離を置こうと考えるようになった

私と同様な思いを抱いている方は少なからずいるのではなかろうか

 

 

遡ること数年前2012年7月、週刊東洋経済が掲載した記事は

「知られざる巨大市場・日本のLGBT」といったものだった

この記事にはLGBTは弱者というよりはむしろ強者、

富裕層といった感じで表現されていたような感じがする

 

私自身も、当時は一人暮らしだったけど

周囲のノンケが家のローンだの子供の教育費であれこれ頭を悩ましていたのに対し、

ホモの私は結婚を考える必要もなく給料はすべて自分で使える訳であるし、

ノンケよりはるかに生活は楽だよなーと感じていた

 

確か「エリートゲイ」なんて言葉が出たのもこの頃だったかなww

 

これが数年後にはいきなり「弱者」に転落している(笑)

 

この頃まで、特に地方においては、

ゲイバーやネットの掲示板を通じてくらいしか、

同性愛者と知り合う機会がなかった

 

そういった場で出会う目的はあくまで「身体」、

その場限りの関係だったといってもいいのではなかろうか

 

私自身も経験がないなんてきれいごとを言うつもりは毛頭ない

 

ところが出会い系アプリの普及に伴い

同性愛者同士の出会いもたやすくなり、

友人関係を築くことも容易になった

 

別に「身体」だけが目的ではないから、

いろんな話ができるようになってきた

これはあくまで私が経験してきた「地方」においての話だけど

 

私自身、

「同性愛者であることを隠す」という感覚から、

「あえて第三者に言うことではない」といった感覚に変わっていったように感じる

これはあくまで接する人数が格段に増え、

さまざまな同性愛者の考え方を知ることができるようになったからだ

 

出会い系アプリの普及で

地方においても同性愛者をめぐる状況は一変したといっていい

 

にも関わらず、活動家さんたちの感覚は、

同性愛者を巡る世の中の変化についていけなかった

 

恐らく、活動家さんたちは中途半端に顔を知られているぶん、

出会い系のアプリを使ったことなんてないのだろう

ゲイバーやナイトといったイベントにも顔を出さないし

昔ながらのハッテン場に行くこともないのだろう

 

だからこそ、どんどんどんどん、

年代を問わず当事者との感覚がずれていった

 

この頃には活動家の言い分に多少の疑問は呈しつつあったけど、

それでも抜け出せなかったのが洗脳の恐ろしいところ(笑)

 

誰も支持してくれなくなった活動家は、

当事者と距離を置くようになり、

いつしか「弱者」に成り果てた、、、、

それが長年活動家さんたちを見てきた私の感想

 

明らかに10年前と今では当事者をめぐる環境は違っている

しかしながら活動家さんたちの脳内は10年前とぜんぜん変わっていない

 

   ◇

 

かつての私のように悩んでいる方がいるのも事実でしょう

しかしながら大半の当事者は

きちんと自分が同性愛者であると認め、

同性愛者として前向きに生きているのも事実なんです

 

特に若い世代のゲイは、SNS上に普通に顔を出し、

ごく自然に仕事の悩みや彼氏との関係を赤裸々に綴っています

彼らの投稿にLGBTなんて言葉なんて一切出てきません

 

こういった当事者の存在を活動家は一切無視しているし、

政治家、行政や教育に携わる方々もろくな調査もせず、

活動家の言うことを鵜呑みにしていることに

私は恐怖しか感じない

 

 

 

いわゆる「LGBT活動家」のみなさんへ

 

みなさんの多くは私と同世代ですよね

私たちの世代ならたしかに情報も少なかったし、

誰かと出会うのも困難だった

でも、今の世代は違うのです

 

いつまでも自分たちの「生きづらい」という価値観を押し付けるのは

いい加減にやめにしませんか?

 

無論、あなた方自身が「生きづらい」と感じるのは自由です

 

しかしながら当事者からろくに支持もされていない活動家の方々が、

当事者の代表面して「生きづらい」と述べるのは

明らかに間違っています

 

あなた方が支持を得ているのなら、

LGBTのパレードにしろ、

同性パートナーシップ制度にしろ、

もっと盛り上がりをみせても何らおかしくない

しかしながら何をやってもさっぱり盛り上がらない

要するに全然支持されていない証拠ですよね

 

あなた方は反日系のマスコミ、

朝日、毎日、NHKに都合よく使われているだけです

いい加減に気付かれてはいかがですか?

 

だいたい「生きづらい」なんていうのは個人の問題です

社会のせいにすることではありません

実際に同じ日本において楽しんで生きている当事者は大勢いるのです

この違いはどこにあるのですか?

 

単にあなた方は格好つけているだけ、

弱者である自分に酔っているだけ、

いや、自分を慕ってくれる数少ない当事者を

「あなたは弱者よね、苦しいよね」と洗脳しているだけです

 

周囲は相当冷めた目で見てますよ、本当に(笑)

 

 

冒頭のブログを書かれた増原裕子さんへ、

 

ディズニーで派手な同性婚やって、

パートナーシップ制度第一号になって、

あっさり別れて、

気づけば年上の子供もいる経済評論家と同居、

波乱万丈な人生でいらっしゃいますし、

講演のネタも尽きることはないでしょう

 

masu.jpg
https://www.youtube.com/

 

こんな好き放題やってる方が「差別」云々と言っているのだから、

私には「失笑」意外の言葉が思いつきません

 

松岡宗嗣さんなんかは経験不足すぎで

三者の話しかできないけれど、

逆に増原さんって、

経験豊富すぎて自分の話しかしないよね

 

驚くほど「当事者」が出てきませんよね(笑)

 

そりゃそうだよね、

当事者のために活動してるんじゃなくて、

あくまで自分のために活動してるんだもんね

 

素直にいえばいいじゃない

LGBTのために活動してるんじゃなくて、

私と勝間さんの幸せのために活動してますって

 

そうすりゃ私も何も言うことはない

ご自由に、どうぞお幸せに、である

 

しかしながらLGBTの冠被って活動を続けるのなら、

「まずは言葉のナイフを鞘におさめてほしい。対話はそれからだ。 - LGBTダイバーシティと社会のこと」

なんて記事を書くのなら

まずは言葉のナイフをしまうのは、

増原さん自身じゃないのかな

 

あなたが9月30日に書かれたこの短いブログ記事の中に

「差別」という言葉が9回も登場している

いかに増原さんがこの「差別」という言葉を軽く見ているかの証明でもある

 

これに対し、英司さんのブログでは

「差別」という言葉をいかに慎重に使わなければならないかということが、

自身の経験から述べられている

 

増原さん

「差別」という言葉のナイフを振りかざしているのは、

どこの誰なのか、

一度自分の胸に手を置いて考えてみればいかがですか?

 

そして自分の考えを一方的に主張するのも結構ですけど、

たまには当事者の意見に耳を傾けてみてはいかがですか?

 

あんまりカリカリしてると

せっかくのお美しい顔が台無しになりますよん

 

   ◇

 

増原さんのような高学歴かつ、聡明な美しい女性に対し、

学も名もないホモが余計なことを書いて申し訳ありません

 

今後も勝間さんとの幸せを、

またご活躍を心よりお祈り申し上げます

 

では失礼いたします