うちの旦那はオネエ様

地方在住、ホモのひとりごと

LGBTのみなさん、いったいいつから「差別」されるようになったの?

かなり古い記事なんだけど、

2012年にダイヤモンド・オンラインで連載された

LGBT――もはや、知らないでは済まされない――

なる連載を興味深く読んだ

 

この連載のトップはLGBT当事者による座談会となっており https://diamond.jp/articles/-/21153

ひろこさん、こと増原裕子さんや松中権さん、藥師実芳さんといった、

現在もおなじみの方が当事者としての意見を述べている

 

上下に別れ、かなりネット記事としてはかなり長いのだけど、

もしよろしければ一度目を通してほしい

今現在の彼らの主張と比較すると、何か違和感があると思われる

 

 

 

7人もの当事者が登場するこの座談会で、

最近の彼らがことあるごとに主張する「差別」という言葉が登場するのが

ただ1カ所だけなのだ

 

それも、実際に差別を受けた云々という話ではなく、

LGBTフレンドリー企業についての話題の中で、

増原裕子さんが以下のように述べているだけだ

 

LGBTと形式的に打ち出しているだけだったり、自社の社員に対する施策が整っていなかったりするようでは、LGBTコミュニティには口コミで一気に広まります。「あの会社はオモテ向きには美辞麗句を並べているけれど、社内のLGBT社員に対する差別が酷い」というようでは、その会社の製品を買わなくなるでしょう。

 

あくまでたとえ話の流れとして出てくるといった印象だ この連載では別に石川大我さんのインタビューもあるのだけど、 こちらに「差別」なる言葉が出てくるのはわずか2カ所

 

やはり、日本のLGBTを取り巻く状況は、03年7月に「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(性同一性障害特例法)が制定されたことがきっかけに変わり始めたと思います。この法律ができたおかげで、過去には“オカマ"などの差別的な言葉で片付けられてきたトランスジェンダーの人たちが、性同一性障害と医師に診断されれば、一定の条件の下で戸籍上の性別を変えられるようになったからです。
たとえば、2011年に豊島区で「としま男女共同参画推進プラン」(第3次豊島区男女共同参画推進行動計画及び豊島区配偶者等暴力防止基本計画)を改訂する動きがあった際には、関係各方面に働きかけて「性的少数者(セクシャル・マイノリティ)の人々への理解の促進」(性的少数者への差別や偏見の解消を目指して、区民や企業等に対する啓発活動に取り組む事業)を区の施策として加えてもらいました。

 

このインタビューもかなり長いのだけど、 「差別」という言葉が出てくるのはあくまでこの2カ所だけで、 別に差別されて苦しい、云々という話ではない

さらにこの特集には永易至文先生も寄稿されているが ここに出てくる「差別」という言葉もわずか2カ所

 

なかには、学生時代からの友人にカムアウトされた、何人かゲイの知り合いがいる――という人がいてもそんなに珍しいことではないし、「一応、差別意識はないつもりだ」と多くの人は言うのではないだろうか。
「一生をゲイとして生きる」と宣言したものの、さて……。ゲイ一期生の先輩世代(50代以上)が若かったころは、まだまだ日本社会では差別が厳しく、一定年齢になると結婚していく道を選んだ。自らのセクシュアリティを押し込めて、ゲイを“卒業”していた。現在の私たちは、「社会の非婚化」ともあいまって、卒業などせずに済んでいるが、同時にゲイとしての中高年期や老後の「ロールモデル」も、いまだ見当たらないままなのだ。

注目したいのは永易至文先生のこの記述よな

「ゲイ一期生の先輩世代(50代以上)が若かったころは、まだまだ日本社会では差別が厳しく」

あくまで「かつては差別が厳しかった」という話よな

 

さらに「病気、介護、相続……老後の来ないゲイはない」という問題提起をした上で、

永易先生は「いまの法律や制度でできることはある」として

「医療における意思表示書」「成年後見契約」「遺言」の 「3つの書面を作成」することを勧めている

 

はっきり言って、今現在も納得できるような話ばかりだし、

性的少数者」の中においても「ゲイ」が抱える問題なんて、

これですべて解消するといってもいい

 

どうしてこんなまともな主張をする方が、

ツイッターだとシアワセな当事者を攻撃しまくるのか、 私にはさっぱり分からない(笑)

 

 

 

2012年の時点では「差別」云々とほとんど言ってなかったような方が、

その後時を経て「LGBTに対する差別」云々と大騒ぎ

 

実際に「差別」されてきたのなら、

この時点で「差別されている」と訴えていなければ おかしいと思うのよな

しかしながら少なくともこの冒頭の座談会の出席者は 誰一人「差別されている」なんて言ってないのだ

 

あくまで増原さんがたとえ話の流れとして「差別」と述べただけだ

これを違和感と言わずして何というのだろうか

LGBT活動家のみなさん、教えてください

 

あなた方はいったいいつから「差別」されるようになったのですか?