LGBTのゲイは本当にゲイだから生きづらいのだろうか?
LGBT云々とおっしゃる方々は
常日頃から「私たちのことを分かって欲しい、理解しろ」なんて言ってるが
果たして私たち、同性愛者はストレートの方々のことを分かっているのだろうか
先日、こんなニュースを見かけた
共同通信の記事を転載
性交渉、経験なしが25% 日本の18~39歳男女
18~39歳の日本人の25%に異性間の性交渉経験がないとする研究結果を、東京大とスウェーデン・カロリンスカ研究所のチームが8日付の英医学誌BMCパブリックヘルスに発表した。2015年時点の推計で、23年前の20%から増えていた。1万人以上の調査データを分析した。
「草食男子」「セックス離れ」と言われるように、性交渉を追求しない人が増えたともとれる。だが調査では、特に雇用や経済状態が不安定な男性で割合が高い一方、未経験の男女の8割に結婚願望があった。チームは「性交渉がないのは本意ではない可能性がある」とみている。
同性愛者の視点からみれば、
男女が性交渉をするなんてことは「ごく当然のこと」と思うかもしれぬが
そこに至る過程というのがいかに大変なことなのかってことを、
多くのLGBT活動家はいっさい気にもしていない、ということが、
私には不思議で仕方ない
男同士の性交渉なんて、
自分が気持ちいいことを相手にもすれば、
難しいことを考えなくても何とかなるが、
異性相手だとそうもいかない
それこそ男女における「初体験」というのは
悲喜こもごも、さまざまなドラマをはらんだものであり、
まさにすべてにおいて未知なる世界で、
多くの映画やドラマ、小説、漫画のテーマとして取り上げられてきた
その時の経験が、後の人生に大きな影響を与えることだって大いにある
常日頃からだけど、
同性にほめられるよりは異性にほめられた方が嬉しいとか、
逆に同性に指摘されるより異性に指摘される方がきついとか、
そんな経験はないだろうか
仮に男に「え、おまえ高卒なん?」と馬鹿にされたら
「おまえ、本当に大学行ってそのレベルなんか」
と言い返せばいい「だけ」だ
しかしながら女性に
「えー、高校しか出てないの」なんて言われると意外ときつかったりする(笑)
これは性に関することでも言える
びろうな話をすれば男性器の「大きさ」
かりに男同士で短小であることを指摘されたり、
からかわれたとしても
「無駄にでかい巨根だなあ」と適当に言い返してやればいい「だけ」だ
しかしながら女性に
「あーらかわいいお◯ん◯んねえ」なんて言われると、
一生立ち上がれないくらいのトラウマになる
私なんてだからこそホモでいるのかも、とも思う(笑)
ノンケだって性交渉に至る過程でさまざまな葛藤があり、
だれに教わるわけでもなく、もがき苦しんでいるものなんだけど、
何故かLGBT活動家の皆さんというのはこういったことを無視する
性に関する悩みなんて、
ゲイに限らず誰しも持ち合わせているものだ
そして、それはあえて口にすることでもなかろう
で、かねてから思うことであるけれど、
LGBT云々とおっしゃっている方の中の男性同性愛者、
すなわち日ごろから「生きづらい」云々とおっしゃってるゲイの方って、
日常生活において四六時中ゲイであることを意識しているものなんだろうか
私は10代の思春期の子たちが「同性に恋して苦しい」っていうのはまだ分かるのよな
しかしながら、今現在、
「苦しい」だの「生きづらい」だの言ってるゲイの方が
30代、40代、50代であることに、めちゃくちゃ違和感がある
だって、日ごろは皆さん、ゲイであることなんて何ら関係のない仕事をしていますよね
基本的に自分が◯◯であると意識する時って、
必ず何かきっかけがあると思うのです
たとえば私は男ですけど、
日ごろから男であることを意識しているかと言えば決してそんなことはありません
男であることを意識するのはその場に女性がいる時(テレビで見たり、というのも含めて)
ではないでしょうか?
ふだん、男世帯で仕事をしていると、自分は男だなあ、なんて意識しませんよね
私は背が低いですけど、
日ごろから常に背の低さを意識している訳ではなく、
隣に旦那が並んだ時とか、ラッシュ時に息苦しくなったり、
ズボンを買いに行って思いっきり裾上げなんかした際に、
自分の背の低さや足の短さを意識します
内装の仕事でテーブルの裏に潜り込んでビス打ちとかやってると
背が低いと楽だなあ、と感じることもある
私は日本人ですけど、
それは日の丸や桜を見て美しいなあ、って感じたり、
諸外国の方が日本の悪口を言ってると腹がたったりする時に
自分は日本人であることを意識するって、もんじゃないでしょうか
病気や障害なら日常的に意識し続ける必要があるでしょうが、
その他の部分においては、
なにかきっかけがないと意識なんてしないものだと思うのです
では、日常生活において、自分がゲイであることを意識する時はいつなんでしょうか???
会社経営であろうと、営業職であろうと、オフィス勤務であろうと、工場勤務であろうと、
運輸業であろうと、政治家であろうと、飲食店勤務であろうと、
「ゲイに携わる仕事」をしている方を除いては、
性的指向なんて一切無関係でしょう
仕事中にゲイであることを意識するとすれば
せいぜい「同僚が家族の話をした」時や、
休憩時間にネットでLGBTに関するニュースを見た時、
くらいのものではないでしょうか?
それ以外の時間は仕事に集中していますよね???
帰宅してエロ動画を見る際にも
「俺はゲイだからゲイ動画を見よう」なんてことを改めて考えませんよね?
ゲイ向けのアプリをチェックする際にも
「よし、今からゲイの恋人を探そう」なんて考えないですよね?
せいぜいLGBT活動に否定的なゲイの方のツィートに立腹したときくらいではないですか???
LGBT云々とおっしゃってるゲイの方は、日常生活において
どんな瞬間にゲイであることを意識するのでしょうか?
どんな瞬間に生きづらい、と感じるのでしょうか?
だいたいゲイなんて男で性自認も男です
多くの方は女装もしないでしょうし、
うちの旦那みたく日ごろからオネエって方もかなり少数でしょう
ゲイであることなんて、あくまでその人の一面にすぎないことです
その他多くの面ではマジョリティーであるはずなのに、
なぜあえてゲイというマイノリティーな部分だけを強調するのでしょうか
ゲイの方の多くは特に障害を抱えている訳でも
病気を患っているという訳でもないですよね
かつて尾辻かな子さんもこんなことをおっしゃっていました
「この世に全てにおいて多数派になれる人はいないと思います。みんな、どこかになかなか開示できないマイノリティ性を持っていたり、自分がそうではなくても、自分の子どもがそうであったりするかもしれません。いまはそれなりに若く元気であっても、人は誰でもいつかは老い、いつ病気になってしまうかは誰にも分からない」
この点について、私は尾辻さんと全くもって同意見です
誰しもがマイノリティーな部分を持ち合わせているのです
で、同時に思うのです
日本のLGBTの割合なんかよりはるかに少ないんですから
間違いなく「マイノリティー」です
彼らなんてみんな「会社でバレちゃいけない」って思いつつ、
鉄壁の殻をかぶってビクビクしていることでしょう
だからこそ、顔の見えないツイッターの世界では、
暴言吐きまくりなんではないでしょうか
そして、不思議なことに
LGBT運動に関わる方の大多数が「反自民」「反アベ」であることを考えると、
ゲイというマイノリティーだから苦しいのではなく、
共産党や立憲民主党を支持しているというマイノリティーな存在だからこそ
生きづらく、かつ苦しいのではないかと思うのです
それこそ政治に関するニュースというのは日常的に耳にすることでしょうし、
「反自民」「反アベ」であることを常に意識せざるを得なくなっているのではないでしょうか
だからこそ「苦しい」し「生きづらい」
今、多くの会社で「僕はホモです」とカミングアウトしても
「あ、そう、うだうだ言わずに仕事しろ」
で終わることでしょう
しかしながら「僕は立憲民主党の支持者だ」なんてカミングアウトすれば、
同僚の多くは口を効かなくなり、
上司もいかに他の部署に移ってもらうかを考えることになるでしょう
だいたい自分たちの政策なんて何ひとつまともなものがなく、
政権批判しか脳がない低レベルな政党を支持せざるを得ないのですから、
そこに至る過程というのはさぞかし辛いものがあったろうと、
私は察するのです
無能なものを信じているのですから
まったくもって、「お気の毒」としかいいようがありません
LGBT云々の中でもゲイの方で
「苦しい」だの「生きづらい」だのおっしゃってる方、
冷静に考えてみてくださいね
本当にみなさんはゲイだから苦しいのですか?