うちの旦那はオネエ様

地方在住、ホモのひとりごと

第2回「LGBTと教育フォーラム」in 金沢に行ってきた

旦那と金沢に行くことになり、

2人で高速バスに乗り込んだ

 

車内はずいぶんと混んでいて、

空いていた席に旦那とは別々に座る

 

私はカバンの中から文庫本を取り出した

吉田修一さんの「最後の息子」という小説だ

 

先日、日頃からツィートを拝見している方が

吉田修一さんの小説について書いていて、

久しぶりに読みたくなってブックオフに行って買ってきた

 

吉田修一さんという作家は、

どこにでもいそうな、何ら特徴もない男を描くのが天下一品だと思う

 

特にイケメンという訳でもなく、

特にモテるという訳でもなく、

特に鍛えている訳でもなく、

特に夢がある訳でもなく、

下着はちょっとゴムが伸びたようなトランクスで

気だるそうにタバコを吸って、

旨くもないと思いつつ酒飲んで、

それでいて普通に性欲はあって、

みたいな感じの男

 

こういった男をやたらめったらエロく書けるのが吉田修一さんなのよな

汗とか、酒とか、精液の臭いが文面を通して伝わってくる

これに対して女性をまったくエロく書けないのも吉田修一さんの特徴(笑)

 

最後の息子」はオカマの閻魔ちゃんと同棲する「ぼく」の話

私はこの小説を十年ぶりくらいに読んだけど、

似たような生活をしているよな、なんてことも思う

 

「ぼく」はノンケで閻魔ちゃんは「オカマ」

「私」はホモで旦那は「オネエ」

 

主人公の「ぼく」はどうしようもなく不器用でクズみたいな男だ

この男の思考回路は単純というか短絡的というか、

後先考えないという点など恐ろしく私にそっくりで、

この小説の20年後が今の旦那と私の生活なのかな、

なんてことも思う

 

最後の息子」を読み終えたところでバスは金沢に着いた

 

 

 

今回金沢に来たのは、以下のようなイベントが開催されることを知ったからだ

 

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注目したのはこの中で映画「カランコエの花」が上映されることだった

私はまだ観ていなかったのだけど、

予告編なり、さまざまな方の感想を拝見して、

安易なLGBT教育に対する警鐘ではなかろうか、と考えていたのだ

 

こういった映画が「LGBTと教育」に関するイベントで上映されるというのは、

私にとって非常に興味深い点だった

これだけでも金沢に行く価値があると思い、

私はその場で参加を申し込んだ

 

さらにこのイベントの仕掛け人は金沢市出身の松中権さんである

松中権さんは昨夏、金沢市で開かれた教職員向けの講演会で

「当事者に限らず大勢の人が正しい情報を発信し、世の中を変えることが大事」と述べている

 

松中さんに限らず、活動家さんはいつも「正しい知識」云々と言っている

LGBTの正しい知識というのは私にとっての永遠のテーマみたいなものだ

「正しい情報」とは果たしてどういったものなんだろうか

そういった意味での興味もある

 

私は何か見つかることを期待して会場入りした

 

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チラシの募集定員は100人とあったけど、

実際はそれより多くの方が集まっているような気がした

 

そして私はふと思ったのよな

この100人って、どういった人なんだろうって(笑)

明らかに当事者だなあと思える方も何人かいたけど、

大半は当事者ではない、というのが

あくまで私と旦那の率直な印象

 

年代も性別も多種多様、

意外と若い方が多い感じもした

 

第一部のセッションは

SDGsの視点で考える、LGBTと教育の接点」というもので、

SDGsなんていうまたLGBTに代わる怪しげなアルファベットの羅列が出てきたぞと

一瞬身構えたりしたが

Sustainable Development Goals (持続可能な開発目標)という2015年の国連総会で採択された

17項目からなる開発目標であるとのこと

 

こちらに登壇されたのは石川県選出の某国会議員さん、

ならびに弁護士さん、ならびに国連大学の方などなど

 

私には正直言ってちんぷんかんぷんであるし、

旦那も半分くらいウトウトしていた(笑)

 

私たちの並びの席で、熱心にセッションを聞き入り、

パソコンを叩く方には見覚えがあった

胸元にはレインボーのピンバッジ

 

金沢大の准教授、かつレインボー金沢のスタッフの方だ

 

「北陸は性的少数者にとって生きづらい」などという意味不明なことを、

各地の講演で述べまくっている張本人である

 

その後質疑応答があって、

LGBTに関心がある大学生や教員の方がこの会場にいるのかなあ、

なんてことは思ったが、

実際はどうなのか分からない

 

その後、休憩時間を挟んで「カランコエの花」が上映された

 

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公式サイトの「あらすじ」には以下のようにある

 

「うちのクラスにもいるんじゃないか?」

 

とある高校2年生のクラス。ある日唐突に『LGBTについて』の授業が行われた 。

しかし他のクラスではその授業は行われておらず、 生徒たちに疑念が生じる。

「うちのクラスにLGBTの人がいるんじゃないか?」生徒らの日常に波紋が広がっていき…

思春期ならではの心の葛藤が 起こした行動とは…?

https://kalanchoe-no-hana.com/

この監督さんはインタビューで以下のように述べている

 

学校など教育機関レベルでは、マクロな視点とミクロな視点での対応が必要です。LGBTを受け入れるための体制作りとして、マクロとしての全体への情報発信と、ミクロとしての当事者への個別対応が求められます。

 映画の劇中では、先生がミクロな対応が出来ていませんでした。生徒はただ先生に自分の想いを聞いて欲しかっただけなのに、それをSOSとして受け取ってしまい、LGBTについての全体授業を決行し、結果的に生徒を傷つけてしまった。

 正義感や熱意で先走ってしまうのではなく、LGBTの当事者がどのような対応を望んでいるのかをしっかり見極めて行動するべきです。

https://shuchi.php.co.jp/article/5585?

 

このインタビューの全文を読むと、この監督さん自身がいわゆる「LGBT運動」に違和感があることは察する

 

映画を見終えて感じたのは

当事者だとこういった話は絶対に書けないだろうな、ってことで

この監督さんが特定の当事者やLGBT活動家を取材していたら

やはりこういった話は書けないだろうな、ということだった

 

あくまで視点が中立で、

特定の登場人物に深入りするようなことはしていない

 

登場人物の誰もがとまどいを抱えたまま、

誰もが結論を導き出せないまま、結論を迎える

あとはご自分でお考えください、といったところか

 

この突き放された感じが、

当事者としては何とも心地よい

 

 

 

映画の上映を終えて、第二部のセッションがスタートした

第一部のパネリストさんとは違う4名の方が登壇されたのだけど、

唯一聞き入ってしまったのが、

FTMである石川県の現役の高校教師の方のお話だった

 

先生は20年前に授業で生徒たちにカミングアウトしたそうだ

しかしその後すぐに転勤になってしまい、

その生徒たちがどう受け取ったか、分からないままずっと過ごしてきたとのこと

 

しかし、今回のフォーラムに登壇するにあたり、

当時の生徒にあの時どう感じたのか、と1人の生徒を通じ問いかけてもらったそうだ

すると届いたのは多くの感謝の言葉だったという

先生はその言葉のひとつひとつを読み上げた

 

先生は「金沢では自分を受け入れてくれたけど、他に赴任したらどうなるんだろうっていう不安があった。でも奥能登でも加賀でも同じだった」とも言った

 

先生の口から「差別に苦しんだ」だの、そんな軽率な言葉はいっさい出てこない

真摯に自分と向き合い、同様に真摯に生徒とも向き合ってきたのだろう

丁寧に選んで発する言葉のひとつひとつに重みがある

 

「私のかかりつけの医者は石川県にはいません、東京です」

こういったひとこと地方在住のFTM当事者が抱える問題が伺えた

けど「だから苦労した」なんてことも先生は言わない

 

今でこそ金沢ー東京は日帰り圏内だけど、

つい数年前までは夜行列車が走っていた

診察のために上京するなんて心理的にも金銭的にも大きな負担だったろう

 

けどこういったことも先生はサラリと言ってのけるのだ

余計なひとことを言わないから、

聞き手に考える余韻を与えてくれる

 

こういった話を聞くと、

LGBTの問題なんていうのは絶対に一括りにしちゃいけないんだと改めて思う

LGBの方だって抱えているものは少なからずあるだろうけど、

Tの方が抱えているものとはレベルが違いすぎる

 

その上で先生はこうとも言った

「いろいろ大変だったけど、生まれ変わっても、こういった人生ならもう一回ありかなって」

 

「だって、FTMじゃなかったら本当に平凡な教師だったと思うんです。でも私はFTMだからこそ経験してきたことはいっぱいあるし、伝えたいこともいっぱいある」

ちょっと言い方は違うかもしれないけれど先生は笑顔でこう言い切った

 

こんな話を聞いた後に、隣にいた松中さんが何を言っても、

全然耳に入ってこなかったのよな

 

映画を見て、この先生の話を聞けただけでも十分に金沢まで足を運んだ価値はあった

こうしたイベントを企画してくれた松中権さんには素直に感謝したいと同時に、

この先生の話をとなりで聞いた松中さんが今後どういった活動をしていくのか、

注目したいな、、、とは思った

 

しかしながらイベントの終了間際に松中さんは

「百万石祭りにLGBTを紛れ込ませたい」みたいなおかしなことを言っていたから、

きっとこの方には先生の思いみたいなものは何も通じていないんだろうな、

とも思った

 

何だかんだでこの方は広告代理店の出身なのだ

「元々僕は自分がゲイだというのを何となくポジティブに捉えていて、ラッキーな事にゲイに生まれてあまりひどく悩む事もなかったので、そういう自分をどこかで生かしたいなと思っていて。広告会社に就職した当初から仕事としてLGBTについて取り組みたいなと思っていた」

電通に入社してしばらくして、アメリカに研修に行って、

LGBTが金になると分かって帰国後にNPOを立ち上げている

http://www.2chopo.com/topics/1659/

 

彼自身は特にゲイだからといって苦労した訳でも何でもない

当事者の話を聞いて何かをやる、という訳ではない

自分が面白いと感じたことをやっている

この方にとって他の当事者がどう生きているのか、

どんな考えを抱いているのか、なんていうのは一切興味ないんだろう

 

あるなら先程の先生の話を聞いて、

何らかの反応を示してもいいはずなのだ

しかしながらその後の彼を見ていると、

何かを感じたとかいった様子がまったく伺えなかった

 

最後に松中さんは

「来年の9月に、21世紀美術館でOUT IN JAPANをやります!」

と誇らしげに宣言した

 

やはりこの人はLGBTに関するイベントの企画しか頭になく、

LGBTがどう生きていくか、

どんな問題を抱えているのかなんていうのは興味もないんだろうな、

ということも確信した瞬間だった

 

 

 

イベントは予定時間を30分近くオーバーして終了した

帰りのバスの時間が迫っていたので、

旦那とともにバス停へ急ぐ

 

旦那に「どうやった?」と感想を聞いて見たら、

「右後ろに可愛い男の子2人組がおったやん、あの子らがホモかどうか気になって、全然話が頭に入らなかった」と言う

 

ま、これまた旦那らしい、といえば旦那らしいが、

実は私もずっとそのことばかり気になっていたのだった

何せこの会場にあまりにも似つかわしくない美しい若者が2人いたのだ

ホモとオネエが考えることなんて同じである(笑)

 

旦那と私はバスに揺られて家に帰った