うちの旦那はオネエ様

地方在住、ホモのひとりごと

マツコさんのことば、ジャックさんのことば

年末に、旦那と一緒にHDDを整理をしていたら、

マツコ・デラックスさんがインタビューを受けている番組がでてきた

 

2013年6月に放送されたNHKの「ハートネットTV」というもので、

マツコさんが自分自身について語っているのは珍しく思え、

つい旦那とともに見入ってしまった

 

この番組内ではマツコさんが2012年7月の週刊東洋経済のインタビューで語った、

言葉が紹介されていた

 

私は全文読んでみたいと思ったけれど、

残念ながらとっくの昔に処分したもので手元にない

図書館に行こうと思ったけど、

年末年始の休暇に入っていた

 

悶々としながら年を越し、

ようやく図書館に行って当時の週刊東洋経済を引っ張りだしてきた

 

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ずいぶん若い松中権さんや、

ぜんぜん変わらない上川あやさんの姿もあったが、

今回はいいや(笑)

 

 

 

以下その内容

誤字脱字はご容赦ください

  

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 日本の社会の中で、LGBTはどのような問題を抱えて生きているのか。ゲイとしてどのようなことを訴えたいのか--。日本のLGBT市場を熟知し、さまざまなメディアで活躍するマツコ・デラックスさんを直撃した。

--最近、LGBT市場が注目され、参入に興味を示す企業も増えています。

今さらLGBT市場を狙えと言っても遅い。20年前に気づくべきだった。私がゲイ雑誌の編集をしていた頃、一部のメーカーにゲイ向け商品を展開する動きもあったけれど、結局形にはならなかった。 

ゲイは、妻帯者の男性と違って、富裕層に近い感覚でおカネを使うことができる人種といえる。それに早くから気づいていた米国企業などは、当時から保険商品などを売り出していた。ゲイをよく理解しているからというより、単純に金もうけのためだけど、ビジネスのあり方としては正論といえる。 

日本企業はマーケティングを行っても、リスクを取って実際に商品化する経営者がいなかった。今になって、ゲイでも何でも、物を買ってくれればよしとするのは、不景気が続いて、背に腹は代えられなくなったからではないか。そんな商売のやり方をしているから、日本企業は世界で勝てない。

--LGBTに対してフレンドリーな企業を評価しますか。

フレンドリーな企業といっても、ゲイやレズビアンが何かイベントを実施するときに、単発的に協賛につく程度のことしかしていない。おカネを「好きに使っていい」という会社はまだ志が高いと思うが、単に物品協賛だけだと、それで済ますのかと思ってしまう。

「物を売る」という観点から言えば、日本企業はあまりにも努力をしていない。金儲けをしたいならもっと頭を使えばいいのにと思う。しかし、その一方で、米国的な商業主義に走るのもどうかと思う。米国の大統領選を見ると、立候補者がLGBT向けにも演説をしている。LGBTに圧力団体に匹敵する影響力があることがよくわかる。

自分のスタイルで主義主張をすればいい

私はゲイに限らず、あるカテゴリーに属して存在意義をアピールするのは、ちょっと違うのではないかと考えるタイプ。だから、もっとゲイやレズビアンの存在を意識してください、世の中を変えてくださいと、声高に主張するつもりはない。

そもそもLGBTと記号のように言われるけど、ゲイやレズビアンだって、その言葉を知らない人がいると思う。一くくりにできるほど一色ではない。

--では社会に対して望むものは何ですか

必要なのは法整備。特別なことをするのは逆差別につながるが、基本的人権は与えられるべきだ。

たとえば、配偶者でないパートナーに財産を残したくても、今は養子縁組をしないと残せない。公的機関が認めた存在でなければ不具合が生じることに対しては、法整備が必要だと思う。

婚姻に関して言えば、法的に婚姻届を出さなければいけない理由が見当たらない。男女間で行われている婚姻というシステムが、ゲイにとっての理想郷かと問われると、それは違うのではないかと考えるからだ。これはゲイの婚姻を批判しているのではなく、ゲイならではの、婚姻に代わるものがあってもいいと思うから。

異性愛者(ヘテロ)の婚姻と違い、子どもを授かって次につなげるという責任を持たず、ある意味、楽をしている部分もある。

私は基本的にゲイへの差別はないと思っている。あるのは無関心。それはゲイに対してだからではなく、もともと日本人はよくも悪くも何事に対しても無関心だから。団体主義と言われるけど、こんなに個人主義の国はないと思う。

--ゲイの中には、テレビでのオネエタレントが作り上げるイメージに嫌悪感を抱く人もいます

その人たちが言いたいことも分かるし、迷惑をかけている自覚もあるけれど、そのために自分を曲げるつもりはない。個人個人の問題だ。

テレビに出ている人を否定するのも差別ではないか。もしある人が自分がゲイだと言ったときに、私と同じような人間だと思われるとしたら、それはその人の主張が足りないから。すべてさらけ出して生きるのが私のスタイル。誰もが、自分のスタイルで主義主張を唱えればいい。そうしたくないなら、しなくていい。

マイノリティならば、社会が手を差し伸べてくれると思ったら大間違いだし、自分が理解されないことを誰かのせいにしたら、そこで終わりだと思う。

世の中において、これが正しい、これが間違っている、到達点はこれだ、という絶対的なものは存在しない。ゲイは、そのことを普通の人より理解しうるチャンスが多い人種だと思っている。

--テレビで活躍するゲイに比べて、レズビアンが極端に少ないのはなぜでしょう。

レズビアンに関しては、一口では言い切れないデリケートな問題をはらんでいる。そもそも、男女格差・男女差別というものがある。

男女雇用機会均等法が施行されたといっても、女性は弱い立場にあるし、社会のシステムも急には変わらない。その前提のうえでレズビアンとなると、ゲイがカミングアウトするより破らなければならない壁が多い。また、絶対数として、自分がレズビアンだと気づかない人も多い。 

仮に男性と結婚したくないと思っていても、レズビアンとして生きる以前に、食べていかなければならない。だから、この問題を軽々しく語ることはできない。

 

代弁者であると同時に石を投げられる存在

 

--ゲイは男女両方の気持ちが分かるので、世の中を操縦しているのではという考え方もありますが。 

そんな感覚はまったくない。LGBTはしょせん仲間外れ。部外者の私が言うことなんて、マジョリティの人にはどうでもいいこと。でも治外法権の世界で生きているからこそ、神輿に担がれてしまう存在でもある。 

ゲイなどが表社会で目立つようになったのは、混沌(カオス)とした時代の行き着く先だから。矢面に立たせるにはちょうどいいでしょう。ある意味では代弁者だし、ある意味では石を投げる相手にもなる。

シャーマンのように扱われるときもあれば、同性や異性に攻撃するのが不都合なときに、一手に攻撃される立場にもなる。同性でも恋愛対象でもないので、都合よく使われている。その認識はつねに持っている。

週刊東洋経済 2012.7.14】

 

 マツコさんが「法整備の必要性」について述べているのは意外な気がしたが、

概ね納得できる内容だった

 

>私は基本的にゲイへの差別はないと思っている。あるのは無関心。

 

なんてついついうなずいてしまう

 

このインタビューは2012年であるからずいぶん昔と言えば昔になっちゃうけど、

当時と今と明らかに違うのは「リアルな会話減っている」ことでなかろうか

 

以前なら話題作りのために誰かの噂話をしたりしていたが、

今なんてみんなスマホを見てるから余計なことを言う必要もない

 

それこそ昔の職場の喫煙コーナーなんて、

一服のアテに上司の悪口が飛び交っていたものだけど、

今なんてみんなスマホいじりながら一服してるわな

 

昼時の定食屋なんか覗いてみても、

いかにもサラリーマンの2人組、3人組でも、

食べ終わったらそれぞれスマホをいじっている

 

同僚と2人で車で移動、なんていうシチュエーションでも、

以前なら話題を捜していたけど、

今なら助手席の人間なんて寝てるかスマホいじるかなないのかな?

 

私が運転してると、仕事仲間であれ旦那であれ、

みんなそんな感じだけど違うのかな?

 

社会人に限らず、以前は電車内の中高生なんて賑やかなものだったけど、

今なんて恐ろしく静かではないか

電車内で賑やかに喋ってるのなんておばちゃんのグループぐらいだよね(笑)

 

会話が減っているということは、

プライベートに言及されることも減っているということで、

確実に私達のような性的少数者には気楽になっている、

そんなふうに感じるけどいかがなものか

 

差別云々と言ってる人は日頃からどんな人間関係の中で生活してるのかな、

なんてことを私は思ってしまう

 

ただ、話す機会が減ってる分がツイッターなどのSNSに成り代わり、

その中で差別的な言葉が行き交っているのは多々目にする

しかしながらSNSなんかは「やらない」という選択肢もある理由で、

「差別された」「傷ついた」と言いながらSNSを続ける理由が私には分からない

 

マツコさんは「無関心」と述べてるけど、

そもそもみなさんは他人に「関心」があるのかな、なんてことも思う

 

で、今回このインタビュー記事を久しぶりに読んでみて真っ先に思ったのは

「分かりやすい」ってことだった

訳のわからんカタカナとアルファベットの羅列が少なく、

NHKのインタビューと合わせて読むと、

マツコさんがいかに「分かりやすい言葉」を丁寧に選んで話をしているか、

ということが本当によく分かる

 

活動家の皆様においても、

マツコさんのように「分かりやすい、平易な言葉」で主張してくれれば、

もう少しは社会に受け入れられたと思うのよな(笑)

 

私がこのインタビュー記事の中で一番好きなマツコさんの言葉が以下のもの

 

「マイノリティならば、社会が手を差し伸べてくれると思ったら大間違いだし、自分が理解されないことを誰かのせいにしたら、そこで終わりだと思う」

 

活動家のみなさんは、この言葉をどう捉えますか?

 

 

 

昨日、「ジャックの談話室」のジャックさんの訃報を聴いた

 

私がジャックさんのブログを知ったのは、

ちょうど活動家の言動に疑問を呈し始めた頃で、

「府中青少年の家事件」についてあれこれ調べていた時だった

 

初めて読んだジャックさんの記事は

日本のゲイリブが起こした10のでっちあげ事件(1) 」というものだ

 

「目からウロコが落ちる」というのはまさにこのことか

 

私は2006年から続いているこのブログの膨大な記事を最初から読んでみることにした

最初の記事のタイトルは「精神的外専」というもので、

ホモセクシャルの世界史」という本を読んだ感想が綴られていた

 

さらに読み進めていくと、ジャックさんが世界各地を旅していた方だと知った

世間知らずの私が知らない世界が、このブログには広がっていた

その時の私は一睡もすることなく、すべての記事に目を通したことは覚えている

 

ゲイリブに対する厳しい言葉の羅列は、

お花畑だった私を覚醒させるのに十分すぎる衝撃を与えた

 

ジャックさんのブログに出会っていなければ、

私は未だにLGBT教の信者であったかもしれない

 

その後、ジャックさんのブログが更新されるのが楽しみで仕方なかった

 

ツイッターを始める前のジャックさんの記事には、

最後に「つぶやき」が記載されており、

記事そのものが更新されなくてもこの「つぶやき」が毎日増えていっていったのよな

ここに記載された「ツッコミ」が何とも心地よいものだった

 

私が拍手喝采したくなったのは

昨年4月にジャックさんが週刊新潮に「反権力が権力者に豹変する LGBT不都合な真実」なる記事を寄稿された時だ

 

ようやく、マスコミが活動家以外の声を取り上げてくれた!

 

この時までマスコミはものの見事に

性的少数者の、さらに一般当事者から目をそむけていたのだ

活動家の話だけが独り歩きしていた中、

「ジャックさん、新潮社さん、ありがとう!」という気分だった

 

その後、「新潮45」に寄稿した私の文章をブログで取り上げていただいた時は、

本当に小躍りしたい気分だったし、

いつかお会いしてみたいなあ、と考えていた

 

しかしながら9月30日をもってブログの更新は止まってしまい、

ツイートも極端に減った

 

最後のジャックさん自身のツイートは12月4日に書かれた以下のもの

 

 

>年末は、虹色の線香を焚いて、あまりに儚かった命を偲ぼうか

 

亡くなられたのが12月28日とのことだから、

完全に覚悟はできていたのだろう

 

同時に、皆さんのツィートを拝見して、

「何と見事な終活をされたのだろう」とも思った

何とも美しく、潔い最後なんだろうか

 

ジャックさんが綴られた言葉の数々から常に感じるのは

「強く生きろ」っていうメッセージだ

ジャックさん自身はそれを体現されたのだろう

 

ジャックさん、どうぞこの先もゆっくり旅を続けてください

今後も、ブログやツィートを拝見させていただきます

ありがとうございました