うちの旦那はオネエ様

地方在住、ホモのひとりごと

型にはまったLGBT、ならびにその正体

ハフィントンポストに掲載された

「同性婚っておかしなことですか?」“同性ふうふ”の僕たちが感じていること

なる記事を読んでみた

 

先の同性婚訴訟に参加された、ゲイのカップルを取材されたものだ

 

しかしながら、何度読んでみても、

彼らのいう「不安」が、

同性婚」が実現することで解決するとはとうてい思えない

 

さらに違和感があるのは、

上手く言えないのだけど

この二人が

「あまりにも型にはまったLGBT」であるということか

 

この違和感は、かねてから感じていたものであったけど、

今回の同性婚訴訟が始まって、

幾つかの記事を読んでいて、さらに強まった

 

「逃げちゃいけない」。その思いからふたりは原告になった。同性カップルが置かれている不平等な状態を変えたい

 

こちらにも「たかしさん」と「国見亮佑」さんって方が登場する

このお二人もまた、

「型にはまったLGBT」なのよな

 

この点を友人に問うてみると

“「辛い過去」→「カミングアウトで得た幸せ」→「今度は社会を変えたい」という決まりきったLGBT像”

という答えが返って来た

 

なるほど(笑)

 

 

 

ちなみにこの2本の記事は安田聡子さんという、

ライターさんの手によるものである

 

安田さんはLGBTに関する記事だけでなく、

芸能からスポーツからライフスタイルに至るまで、

さまざまな記事を書いているようで、

ざっと読ませてもらったのだけど、

正直言って、ほとんどの記事はごく普通のネット記事といっていい

 

安田さんがお笑いコンビ「阿佐ヶ谷姉妹」を取材して書かれた記事がある

40代未婚、六畳一間でふたり暮らし。お笑いコンビ「阿佐ヶ谷姉妹」が語る新しい共生のカタチ

 

この記事の構成なんかはめちゃくちゃシンプルだ

 

―― これから先も、おふたりはずっと一緒に住むつもりですか。

エリコ どうなんでしょうね。

ミホ いつかアパートの建て替えの時期がきそうな気がしていますね。その時にどうするかですよね。 

エリコ 私は、割と"ミホさん好き"なので、お隣とかに住んでてもらえたら、何かあった時にも、ちょっと助けてもらえたりとかして、すごく心強いっていうのはあるんですけど。

 

記者の質問があって、

取材対象者の答えがある

 

そして最後に記者の感想がある

 

お笑いという仕事で繋がれた"擬似姉妹"の阿佐ヶ谷姉妹。インタビュー中、互いにツッコミを入れながら楽しそうに話すふたりは、仲の良い本物の姉妹のようだった。

 生き方が多様になる今、結婚を選ばない人が増えている。ふたりの暮らしは、結婚する以外の生き方を選んだ人が家族のありかたを模索する時、ちょっぴり勇気をくれるのではないだろうか。

 「自分の当たり前は、相手の当たり前じゃない」「お互いに、苦手なところを補完すればいい」

 家族について考えることは、どうやって生きたいかを考えること。阿佐ヶ谷姉妹が自然と築いてきた関係には、生き方のヒントがたくさん詰まっていた。(安田聡子・南麻理江)

 

素人の私が言うのも何であるが、

誰かを取材して書いた記事って、本来はこういったものではなかろうか

 

記者が質問して、相手が答える

その質問に対する回答で、相手の人となりが見えてくる

 

こんなスタイルでLGBTに関する記事も書けばいいのだ

 

しかしながら、冒頭に挙げた記事なんかは、

誰かを取材して書いたというよりは

単にライターさんが二人を見て感じたこと、といった内容になっている

 

驚くほど二人の人となりが見えない

 

さらに記事そのものも実に不自然な構成になっていて

二人に関する情報が、後から後から付け足されていくのだ

だからこそこの二人が何を言いたいのかという肝心な点が

すべてぼやけてしまう

 

記事はこんな書き出しで始まる

 

鷹見さんと大野さんは、いろんな面で対照的なカップルだ。

人懐っこくておしゃべりな鷹見さんと、落ち着いて物静かな大野さん。

  

そしてこの二人が「公正証書」を作成しており、

同性婚訴訟の原告である、と続く

 

この時点で読み手である私は、

この二人の年齢が幾つなのか、どんな仕事をしているのかといった

基本的な情報が提示されていないもので、

まったく二人の姿をイメージできずにいた

 

続いて大野さんの生い立ちが語られ、基本的にカミングアウトしていない、

そんな話になる

続いて鷹見さんの生い立ちが語られ、基本的にオープンにしている、

そんな話になる

 

相変わらず二人が幾つなのかってことすら分からない

 

続いて2016年9月に出会い、

公正証書を作成した、とあるのだけど、

この公正証書を作成したのは2017年12月、とのこと

 

そしてこの続きの

「制度上は、家族扱いしてもらえない」の部分で、

鷹見さんが会社員で、大野さんが公務員であるという情報が示される

 

さらにこの続きの

「社会はどんどん変わってきている」の部分で

この二人がマンションまで買っているという情報が示される

さらには里親説明会にも参加しているらしい

 

このような感じで

後から後からこの二人に関する情報が追加されていくもので、

読み手である私はただひたすらに混乱してくるのだ

 

私がこういった記事を書くのなら

「公務員の大野さんと会社員の鷹野さんは共に(仮に)40代のゲイカップルだ。愛知県内で購入したマンションで二人で暮らしている」

と冒頭に持ってくると思うけどそんなものじゃないのかな

 

そして何より、この大野さんと鷹野さんには、

このたびの同性婚訴訟に名を連ねたカップルの中でも、

他にない最大の特徴がある

 

それは「公正証書を作成している」という点だ

 

この記事で一番重要なのは、

公正証書を作成している」2人がなぜ「同性婚」を必要としているのか、

ということのはずなのだ

 

記事ではその理由として以下のように記している

 

しかし、公正証書で結婚して家族になっても、税金や社会保障といった制度の面で、男女のカップルと同等には扱ってもらえない。

 例えば、配偶者控除。結婚したカップルであれば、所得の少ない配偶者がいる場合は、配偶者控除を適用して税が優遇される。

 会社員の鷹見さんは、できれば仕事をパートタイムに切り替えて家の仕事を中心にした働き方をしたいと思っているが、収入が減っても配偶者控除が受けられない。

 カミングアウトしていない大野さんは、生命保険料の受取人を鷹見さんにするのが難しい。

 公務員の大野さんは、保険料控除の手続きをする時、職場に書類を提出する。しかし受取人に名字が違う男性の名前を書くと、意図せずにカミングアウトになってしまう恐れがある。本当は鷹見さんにしたい保険の受取人を、今は両親にしている。

 また、ふたりはいつか特別養子縁組で親になりたいと思っているが、特別養子縁組ができるのは法的に結婚した男女だけ。海外では、同性カップルで子育てしている人たちもいるし、日本でも親を必要としている子供たちはたくさんいるが、親になる夢は叶わない。

 知り合いに、男性カップルの結婚生活ってどんなの?と聞かれることがある。二人の日常を話すと「なんだ、私たちと一緒なんだね」と言われる。

 「私たちは他のカップルと何も変わらないのに、男女だと結婚ができて社会的な保護もあります。違和感や不平等さを感じます」と鷹見さんは話す。

 

あまりにも主張としては弱くなかろうか

 

配偶者控除云々というのはゲイカップルならほぼ縁のない話だと思われる

カミングアウトしていない大野さんは、生命保険料の受取人を鷹見さんにするのが難しい、っていうのも、

同性婚が認められたらカミングアウトできるってことなんだろうか?

 

さらにセクシュアリティをオープンにしてきた鷹野さんが親になりたい、

というのはわかるが、

カミングアウトに抵抗がある大野さんが親になりたいと考えるものであろうか

 

何よりこの記事の一番の謎は

公正証書を交わしている2人が同性婚を望む」理由を

当人の言葉ではなく、

安田さんの言葉で書いてしまっていることだ

 

だからこそ、この部分は大野さんと鷹野さんの主張というよりは、

単に安田さんの主張であるように思えてしまう

 

さらにこの記事のタイトルである「同性婚はおかしなことでしょうか」の部分には

何故かここは2月14日の提訴時の主張が出てくる

この取材はいったいいつ行ったものなんだろうか?

 

そんな社会の変化を肌身で感じているからこそ、ふたりは制度が追いついていないことをもどかしく感じている。2月14日の提訴の時、鷹見さんと大野さんはこう訴えた。

 「最近は一部の自治体や民間企業で同性パートナーに対する配慮を進めるところが増えてきました。その一方、国としてはまったくと言っていいほど何も変わっていません」

 「少しずつですが社会が変わってきて、(同性婚に)問題がないにもかかわらず、国として何も取り組まないのは、何かと理由をつけて先送りにしているようにしか感じられません」

 

この手前の部分の主張が弱すぎるもので

驚くほど説得力がない

 

 

 

この記事を何度読み返してみても、

私には大野さんと鷹見さんが同性婚を求める理由が分からないのよな

 

それは大野さんと鷹見さんに要因がある訳ではなく、

この安田さんが書いた記事そのものに問題があると思う

 

安田さんのセクシャリティがどういったものかわかりかねるが、

間違いなく同性婚賛成論者なのであろう

同性婚が実現できていないのはおかしい、という

大前提のもとに記事を書いているもので、

当事者の主張より安田さんの主張の方が強くなってしまうのだ

 

安田さんは「LGBTはこうあるべきだ」という先入観のもとで

この記事を書いている

それはこの記事に限らず、他の記事も拝見した感想である

だからこそ登場人物がみんな「型にはまったLGBT」になってしまう

 

日本を貶めることだけが存在意義となっている

朝日新聞系のメディアのライターに望んでも無理な話かもしれないが、

ライターにはもう少し俯瞰的に物事をみる視点が必要じゃないのかな?

個人の考え方なら自分のブログなりツイッターに書けばいい

 

どうして普段は普通の記事を書ける方が、

LGBT関連の記事だけ自分の主張を入れてくるのか、

私にはさっぱり分からない

 

これは安田さんだけではなく、

ハフィントンポストやバズフィードでLGBTに関する記事を書く

ライターさん、全員に言えること

みんなして、LGBTに対しあまりにも先入観を持ちすぎ、なのだ

 

安田さん、

どうして、LGBTに関する記事も、

先の阿佐ヶ谷姉妹の記事のように、

シンプルに当事者の「人となり」を伝えようとしないのですか?

どうしてそこに安田さんの考えを挿入するのですか?

 

この記事はこう締めくくられる

 

家族ができたことで、喜びは倍に悲しみは二人でわけあえるようになったと話す鷹見さんと大野さん。性別が同じというだけで、結婚できない人たちの苦しみが、少しでも早くなくなって欲しい。だからふたりは問いたい。 

同性婚は、そんなにおかしなことでしょうか?」

 

同性婚は「おかしい」とは思わない

けど「必要」とも思わない、

それがこの記事を読んだ素直な感想

この2人に関していえば、養子縁組の方が良かったのではないかとも思う

 

さらに最後までこの2人の年齢なり年代が提示されなかったもので、

まったくこの2人の「人となり」が見えてこない

 

意味不明なのはこの部分よな

「性別が同じというだけで、結婚できない人たちの苦しみが、少しでも早くなくなって欲しい」

 

少なくともこの記事には一言も「結婚できない苦しみ」なんて書かれていない

 

ついでに驚くべき一言が含まれている

 

「家族ができたことで」

 

安田さん、これ、どういう意味????

 

 

 

先月、同性婚訴訟に名を連ねている方が

(冒頭の記事の方ではない)

「ゲイ当事者によるアンチ同性婚が言っていることがあまりにもお粗末すぎる」

なんていうツィートをしていた

 

ハフィントンポストの記事に出てくる「何としてでも同性婚の実現を」と願う

「型にはまったLGBT」の正体なんてこの程度のものだ

 

「アンチ同性婚」「お粗末」「勉強していない」

 

そういった彼らを説得するくらいの気力はないものなのかね(笑)

私はこのツィートを見て、

この人、全然本気じゃないんだなあ、って思ったのよな

 

ちなみに私は旦那と暮らしている、というだけで満足しているし、

現状では同性婚が必要だとは思わない

 

多くのノンケも言ってるわな

「結婚する前が一番楽しかった」って(笑)

その状態を何年も続けているのだ

 

私と旦那に関して言えば、

赤の他人同士であるがゆえの不安定さを楽しんでいる部分は間違いなくある

 

しかしながら将来、家を買うとかそういった話になった時は

同性婚、やはり必要ではないのか」と考える時もあるかもしれない

 

私は今のLGBT云々のやり方がいまいちよろしくないと思うのは、

同性婚を認めろ」だの「同性婚が認められないのはおかしい」だの、

単に自分の意見を述べている「だけ」だということだ

 

世間に対し「同性婚が必要だろうか」と考える余地を与えていないのよな

 

仮に私が同性婚を求めるのなら、

まずは最初に旦那と養子縁組をして親子の関係になるだろう

 

その上で

「私と彼は愛し合う者同士ですが、法律上は親子です。この点、どう思われますか」

といったシンプルな手紙を日本の衆参の国会議員全員(たかだか700人ちょい)に

に送るだろう

 

現状で同性愛者が家族になれる方法は「養子縁組」だけであり、

「愛し合う2人が親子にならざるを得ない」状況っていうのは、

ガチガチの保守層にとっては間違いなく「おかしい」ことであり、

「まずい」ことだと思われるし、何らかの反応があるのではなかろうか

 

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その上で、その時議員を続けているかは分からないけど、

北陸の地でLGBTに関する発言をしている議員さん、

馳浩さんや稲田朋美さんの事務所に2人で何度でも足を運ぶだろう

すぐ近くの岐阜には古屋圭司さんもいる

やはり足を運ぶだろう

 

私が同性婚の実現を願うなら、最低限、それくらいのことはやる

 

そういったことを繰り返すうちに

ようやく国会議員さんたちの間で議論が始まる、っていうものじゃないのかな?

 

本気で同性婚を実現したいのなら、

もっと本気になればいい

適当に騒いでるだけだから、

当事者の支持も得られないのだ

 

同性愛者のひとりとして、ただただ情けなくなってくる