うちの旦那はオネエさま

地方在住、ホモのひとりごと

ふと、いなくなるということ

こないだの日曜日、

旦那は相変わらず起きてくる気配はなく、

掃除もできずにいた私はボーッとテレビを見ながら

パソコンのキーボードを叩いていた

 

テレビじゃNHK日曜討論が始まって、

相も変わらず「森友学園」問題やらを取り上げている

 

しっかしまあ北朝鮮が、

日本海に向けてばんばんミサイル発射してる最中に、

この国の国会議員どもは、

大阪の私立小学校のことで

足の引っ張り合いをやっているのだ

 

平和ボケもここまで来たか、

私はすっかり憂鬱になってテレビを消した

私は日本という国が好きだけど

もはや「呆れる」以外に言葉が思いつかない

 

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私たちが暮らす日本海に面した県には

やたらめったら原発があり、

別の場所を狙って発射したミサイルが

あれよこれよと原発に命中しちゃった、

なんて可能性も決してゼロではない

 

仮に私が暮らす街にミサイルが着弾したとしても、

官房長官はいつものトーンで

「遺憾である」のひと言で終わりそうな気がするし、

社民党福島みずほ副党首あたりは

「日本はミサイルを打ち込まれるようなことをやってきたのです。戦争反対!」

なんてことを言い出しそうな気もしなくもない

 

それくらい、何ら緊迫感を感じない

何だかただただ泣けてくる

 

冗談じゃない

 

ミサイルのことだけじゃない

 

私が暮らす県には実際に北朝鮮による「拉致被害者」の方が住んでいる

拉致問題を忘れないために」そんな催しも、

たびたび開催されている

だから「拉致問題」だってぜんぜん他人事ではない、

ごく身近な存在としてすぐそこにある

 

拉致被害者の方々が帰国したのは

もう15年も前の話だ

その後家族の方が帰国して以降、

何一つ問題は解決に向けて進んでいない、、、、

 

旦那が起きてこないもので、

私は図書館に向かった

そして当時の新聞縮刷版を読み返してみた

地元紙だけあってかなり詳細な記事であふれている

 

こんなホモのブログで取り上げることではない、

そんなことは重々分かって入るが、

みんなきっと忘れてる、

だからあえて取り上げる

 

朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)に一九七八年七月、小浜市から拉致された同市飯盛、地村保志さん、同市阿納、浜本富貴恵さん=ともに(47)=夫婦と、新潟県出身の蓮池薫さん(45)、奥土祐木子さん(46)夫婦、同県・佐渡島出身の曽我ひとみさん(43)の計五人が十五日午後、羽田空港に到着した政府チャーター機で帰国、二十四年ぶりに家族と感激の再会をした。

五人は同日夕、東京都千代田区のホテルで家族とともに記者会見し、地村さんは「本当に長い間皆さんに心配かけました」と日本語で一言ずつあいさつした。報道陣との質疑応答はなかった。地村さん夫妻の一女二男をはじめ、五人とも子供や夫を北朝鮮に残しての一時帰国。

出迎えのためチャーター機平壌入りした中山恭子内閣官房参与は馬哲洙北朝鮮外務省第四局長に対し、子供たちを含めた帰国と、北朝鮮が認めた以外に拉致の疑いがあるケースも含めた真相究明を要請した。

羽田空港では地村保志さんの父、保さん(75)、浜本富貴恵さんの兄、雄幸さん(73)ら家族が出迎え、タラップの下で抱き合って再会の喜びに浸った。

日本滞在は一〜二週間で、都内に二泊した後、十七日にそれぞれの故郷に向かう。地村さん、浜本さんは十七日午前、羽田空港から飛行機で小松空港に行き、車で夕方、小浜市に入る予定。 警察当局は、本人たちの同意が得られれば、事情聴取したいとしている。

また横田めぐみさん=失踪当時(13)=の娘とされた平壌在住の少女(15)が、DNA鑑定の結果、横田さんの実の娘とほぼ確認されたことが分かった。中山氏は平壌空港で、この少女や曽我さんの夫の元米兵とも会った。元米兵は「(日本に行くのは)難しい」と話したという。

帰国五人と家族の記者会見は都内のホテルで同日午後六時半から始まり冒頭、「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)の西岡力氏が、北朝鮮に子供たちを残してきた五人の「微妙な立場」に理解を求めた。 その上で、五人が一人一言ずつ発言し約十分ほどで退席。家族が対面の様子などを明らかにした。

保さんは「静かに迎えてやろうと思ったが、(保志さんは)私らより活発に笑い声を出して、かえってこっちが励まされたような状態だった」、雄幸さんは「バスの中で(富貴恵さんと)『こうやったな、ああやったな』といろんな話をした。昔と何ら変わりなくうれしく思った」と述べた。

蓮池さんの兄透さん(47)によると、蓮池さんは透さんの携帯電話を使い、友人約十人に電話した。透さんが会話の中で拉致の状況を尋ねたところ、蓮池さんは「今はいいじゃないか」とし、拉致されたほかの被害者について聞いても「後でゆっくり話そう」と言ったという。

奥土さんの父一男さん(75)は、羽田で対面した際に「元気で良かったな」と語りかけると奥土さんが「お父さんに会いたかった」と話したと振り返り、蓮池さんから「お父さんの許しを得ないで結婚しました」と話があった、と述べた。

五人は十五、十六の両日、東京都内のホテルに泊まり、被害者の家族が肉親の消息を尋ねる機会も設けられるという。  【福井新聞より】

  

以上が拉致被害者の方5人が帰国した時の記事

 

この1ヶ月前、当時の首相である小泉さんが実際に北朝鮮に乗り込んでいった

その時、北朝鮮側からは「4人生存、6人死亡」そんな残酷な宣言がなされた

曽我さんの生存が確認されたのは後の話だ

「何にもうれしくありません」。

北朝鮮に拉致されていた小浜市飯盛の地村保志さんと同市阿納の浜本富貴恵さん=ともに(47)=の生存が明らかになった十七日、保志さんの父、保さん(75)と富貴恵さんの兄、雄幸さん(73)は記者会見で苦渋に満ちた表情を浮かべた。

「十一人全員が生きていると信じていたが…。非常に残酷で悲しい結末」とだけ語り、後は身を固くし口を閉ざした。

日朝首脳会談の結果を福田官房長官から知らされた後、午後五時五十分から衆院第一議員会館で開かれた記者会見。四人生存、六人死亡―。四半世紀にもわたって悲痛な闘いを続けてきた被害者家族会メンバーにとって、この結末は到底受け入れられるものではなかった。

保さんは「何にもうれしくありません。私たち(被害者家族たち)はみな家族です。生存者より死亡された人が多いという非情な結果に、何も言うことはありません」と述べるのがやっと。

雄幸さんも「胸の張り裂ける思い。十一人全員が生存していると信じ、これまで闘ってきた。非常に残念。これからどのように闘い続けていくか…。言葉が出てこない」と一気に話すと、後は目を閉じたままじっと押し黙った。

会見では「テロ国家と国交を回復するのか」「拉致首謀者は金正日そのものだ」「拉致問題を長く棚上げし、国民の命を守れなかった政府の責任はどうするのか」と、怒りの言葉が次々と飛んだ。

度重なる政府への抗議活動、訪米などいつも行動を共にし、家族以上の付き合いをしてきた他の家族会メンバーの不幸な結末。手放しで喜べるはずがなく、肉親が死亡した家族たちの話を聞く間、二人の目には涙さえ浮かべた。

会見後、保さん、雄幸さんは救う会など支援者に付き添われながら、宿泊先のホテルへ向かった。通路を歩く間も終始、硬い表情は崩さず、笑顔は一切、見られなかった。【福井新聞より】

 

息子が生きていると知って、

本当なら喜びを爆発させたかっただろう

けど、それすらできなかった 

 

私は図書館の中で涙がとまらなくなった

 

小泉さんは交渉のさまたげになってはいけないと、

北朝鮮側が用意する食事には手をつけず、

おにぎり持参だった、そんな記事もあった

決死の覚悟だったのだ

 

今となっては何かと批判されてばかりいる小泉さんだけど、

あの方は何だかんだ言っても

言ってることはやっている

 

けど、今となっては盤石な政権を築きつつある安倍さんには、

小泉さんのような「覚悟」がさっぱり見えてこない

当時の安倍さんは官房副長官として、

拉致被害者の方々、家族に多く接する機会もあった政治家の1人だった

にもかかわらず

 

拉致問題だけじゃない

北方領土竹島尖閣諸島、沖縄の米軍基地といった

ずっと以前から「問題」とされていることが、

何ひとつ進んでいる気がしない

いずれも過去の問題じゃない、

現在進行形の問題なのだ

 

福島の問題、東北の復興、エネルギー問題、

国が率先してやらないといけないことなんて、

山ほどある

 

今なお北朝鮮には、

帰国を夢見る日本人が多くいる

日本には帰国を待ちわびる家族の方々が多くいる

 

にもかかわらず

国会では日々莫大な税金を浪費しつつ、

茶番劇を繰り広げている

 

この国の国会議員さん方は、

いったい誰のために、

何のために、働いているのだろう、、、

 

私はやりきれない思いで家に帰った

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帰宅すると旦那が「何処行ってたんだよ」と血相を変えている

私は携帯すら持たずに家を出ていたのだった

「ごめん」としか言いようがない

 

旦那はどれだけ心配したかを延々と喋り続ける

非は私の方にあり、

「まあまあ」となだめてみるが、

一向に怒りが収まらない様子

 

私なんて、帰ってきてるからいいじゃない、

 

先の新聞記事を読んだあとだけに、

そんなことも思ってしまう

 

ふと姿を消して、その後連絡がとれなくなってしまう、

そんな方々が、世の中には大勢いる

 

その一方で、

突然旦那と連絡がつかなくなったら、

私はどうすればいいのだろうとも思う

 

警察に届ける?

旦那の親に連絡する?

勤務先に連絡する?

 

いろんな意味で、

今の状況っていうのは不安定で、

かつ脆いのよな、とも思う

 

怒りが収まらない旦那に

「今日は私がごちそうするわ。どっか食べに行こ」

と言ったら、

急に旦那は笑顔になった

 

その日は食事も用意していなかったから、

きっと腹も空いていたのかもしれない

 

その日の夜の旦那は

あれもこれもと食べまくり、

私の寂しい財布はすっからかんになった